響け!の新作映画を見てから1週間くらい経過している。
自分は中高の4年半で吹奏楽をやっていたので、「あんな風にはなれない」というのが具体的な実感を伴って理解できるけれど、同時に「あんな風にはなりたくない」とも思う。あの物語を"青春"と表現できるのは単に強者の視点である。例えば、大学受験を優先するために北宇治を辞めた先輩の視点や、一時期大量に退部者を出していた頃の退部者の視点などは、一体どこへ行ったのだろうか? 仮にその欠落した視点をすくい取ってみたら、北宇治高校はより厳しくグロテスクな相貌を見せるんじゃないだろうか。
それに、周りが金を目指しているから自分も頑張る、というのと、例えば、周りが文化祭の成功を目指しているから自分も頑張る、というのは正直そんなに変わらないように思える。強い環境要因と集団圧の中で生まれるストーリーは、外野から見れば輝きを放っているかもしれないが、内側からはその光は見えずむしろ暗黒面ばかり目に入る、というのはありそうな話だ。


ところで、今日ふと新たに思ったのは、自分の中で、中高の吹奏楽の経験が人格形成に結構影響しているのかもしれない、ということだ。
今回の新作映画では「後輩の方がうまい問題」が、ユーフォパートにおいてもチューバパートにおいても見られていた。もちろん、1期でも高坂麗奈と中世古先輩の話はあったけど、あれはどちらかというと高坂麗奈の才能がずば抜けてすごい、という話だった。でも、あのレベルでなくても、「後輩の方がうまい問題」が普遍的に存在することを今回の映画では示していたと思う。
元「下手な先輩」であった自分にとっては、とても頭の痛くなるような内容だった。

自分の場合には、トランペットパートに一つ上の代にとても上手い先輩がいた。確か小学校の時からの経験者だった。もう少し上の代にも上手い先輩がたくさんいた。
未経験でトランペットを始めた僕は、初めはそういう先輩達を手本にしていこうという気持ちが強かったけど、年が経つにつれて、自分が上手くならないことへのしんどさが募るばかりだった。そもそも、先輩に誘われて何となく始めたトランペットは、吹奏楽ではあり得ないくらい目立つポジションで、そういう花形楽器を何となく選んでしまったことへの後悔も膨れ上がっていた。目立つ失敗をすると演奏全体の印象を格段に下げてしまうことへの恐怖もあった。
その頃の記憶は墨塗り教科書のごとく消してしまっていたけど、久しぶりに映画を見て思い出して、胸がざわついた。能力で人と比べられることへの抵抗感、競争への嫌悪感みたいなものを根強く持っているのは、案外吹奏楽の経験から来ているのかもしれない、と思う。今現在の自分を一歩引いて観察すると、「僕はあなたにとっては馬鹿で無能な人間のように映るかもしれないけれど、それでもこうやってヘラヘラ生きることは出来ているぞ」というような態度を常に持っている。人を能力で見下す人間、を逆張りで見下したい、ということだ。まあ、それを口に出してしまうとただの老害になってしまうので、心の中にしまっているけれど。
とはいえ、無能なりに努力することはそれが何か具体的な結果に繋がらなくても大事だ、という考え(信仰?)は自分も持っている。だからこそ、響け!ユーフォニアムはやはり良い作品だなと思うわけです。


ここまで吹奏楽への dis ばっかり表明してきたけれど、やっぱり、トランペットは上手く吹けると物凄く楽しかったし、全員でタイミングを合わせて楽器を鳴らして音楽を紡ぐこと自体がなかなか楽しい。楽しいはずなのに、それをスパルタのように何回も練習させるから、楽しいのか楽しくないのかよく分からなくなってくる。
北宇治高校でも無数の練習が発生しているわけで、それをエンドレスエイトみたいに何回も再現したら絶対にあのアニメは美しい物語ではなくなってしまうでしょう。だから、冒頭でも述べたように、響け!で描かれている"青春"は、汚いところやつまらないところを捨象した、現実にはあり得ない SF のようなものだと思うので、いざ現実に近い形であの話を具体的に描写してみたとき、それでも憧憬を抱かせるほど美しい話になり得るのかな、というのが気になります。