ハローラスク

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世の中でかくも正解を求めたがる人間の多さを嘆くこと, そう嘆く私の自己欺瞞について

人はなぜ本質をありがたるのか. 人はなぜ一つの正義のあり方に固執するのか. 人はなぜ有名大企業に就職したがるのか. 人はなぜ理想像を一つに決めたがるのか. 人はなぜ他人の生き様に口出しをするのか. 人はなぜ正解を求めようとするのか.

それは, 有り体に言って, 正解が決まらないと, 人が気持ち悪いと感じてしまうからだろう.
正解を決めることによって, 人の生活にあふれる異質なものを正解でないと判断し, 排除することができる. それは「否定」(あると認識しながら無いと答える)ではなく「否認」(無かったことにする)である.
有史以来人は 生 / 死, 本質 / 非本質, 正義 / 悪 などを識別し, 二項対立を作り上げてきた.


デリダという思想家は, 「純粋なものの中に不純に至るものが含まれている」, すなわち例えば生自体に既に死の要素が含まれているというような形で, 二項対立で前提とされる「両者が純粋である」「暗黙的に一方が他方の上位概念である」という構造に揺さぶりをかける. まるで寄生虫のように, その脱構築という名の揺さぶりは常につきまとう.
それはハイデガーの超克のような「真の正解」をもたらすものではない. 「否認」されてきたものが作り出す, 終わり無い揺れ動きの記述である.
実際に, デリダの思想がまず広く受け入れられたのは, 人種差別撤廃運動が先進的に行われていたアメリカであった. デリダは「脱構築とはアメリカである」と述べた.


ところで, 渕上舞さんの Rainbow Planet という曲の歌詞に,

どうして...?
善悪に分けて 争うことでしか 答え出せないの?
誰もがそれぞれ 正義の中で 正義を見失う 完璧な世界はないのに

という部分があるが, 人が善悪という二項対立の下で物事を論じがちであることに警笛を鳴らしている点や, 「正義の中で正義を見失う」という, 正義それ自体の中に正義でない部分が内在していることを述べている点で, デリダ的な思想である.


このような怪文書を唐突に深夜に書いたのは, 普段から"本質"を求めがちな知り合いの皆様に, 本質の裏で隠され「否認」されている非本質にも思いを巡らせて欲しいな, という気持ちと, 私がこのようにして啓蒙者ぶることで「私こそが正解を知っている」というような感覚を覚えてしまうというのも, また愚かな話だな, という気持ちにもとづく.