ハローラスク

時間から自分を無理に引き離すこのような安定性あるいは確実性に到達するためには、時間が必要である。時間なしですませるためには、時間が必要である。時間のなかで時間を従わせ、みずから時間に従わなければならない。

ぼやき

最近高校同期のブログを読むようになったのですが, 私が思っていた以上に中高の環境に「萎縮」させられてきた高校同期が多いことを知り驚きました. 「萎縮」というのは具体的に言うと, 「数学や物理などで特異な才能を持っておりコンテストで凄い賞を取っている人が周囲にいる中で自分は研究者などにはなれない」というような思考のことです. 特に高校時代に友人に恵まれており友人から大きく影響を受けてきた人にこの思考の型がよく見られる気がします. 勿論私も「萎縮」したことがなかったわけではないですが, 私の場合そもそも友人がいなかったので影響を受けようがないみたいな面がありました.

で, そういう「萎縮」している人が多いことを考えると, ちょっともったいないなあと思ってしまうところがあります. お前ごときが偉そうに, みたいに思われるかもしれませんけど, 研究って別に数学や物理が凄くできる人の専売特許ではなくて, それよりも独自性とか新規性とかの方が重要だと思うし, もっと門戸は広いはずなんですよね. せっかく頭の切れる小学生達をペーパーテストで集めて, 日本の中では相対的に優れた研究施設の集まる大学に送り出している教育機関なのに, その内部では一部の凄い人に「萎縮」させられて研究の道に進むのを諦めてしまうみたいな現象が起こっているわけです. 結構罪深いことだとは思いませんか? もちろん各人が研究者になるかならないかなんて各人の自由なわけですが, 国全体の科学技術の発展という観点から言うとあまり良いことだとは思えません.


これは中高の環境で起こる「萎縮」の話ですが, 似たようなことがTwitterをはじめとするSNSでも常に起こっていると思います. Twitterでは, 同じ大学に所属している様々な「強い人」が「強い」ツイートを絶えずしています. そういうツイートは自分から知りたくなくともその人の発言力のせいで知ってしまうことが往々にしてあります. フォロワーが多ければ多いほど起こりがちです. そういう「強い」ツイートに対して, 「勝てません」みたいな類のリプを機械的に飛ばす傍ら, 内心では「萎縮」させられてしまうことってありませんか? 私はそういうのがつらくなって大学垢を半年で消しました.


何が言いたかったかというと, 友人に恵まれた優秀な人が周囲に「萎縮」させられてしまうのは可哀想だなあということです. まあ客観的に見たら友人のいない私の方が可哀想なんでしょうけど.