自分が何をしたい人なのかを言えない

ちょっと寝付けないので、最近考えていることを書いてみます。


「あなたは何をしたいんですか」という類の質問をされると答えに窮してしまいます。
何もしたくないわけではないです。僕が人生でずっとし続けたいことは、大雑把に言うと「あらゆる人の物語を拾い集めたい」ということだと思います。
そのために、頻繁に、知らない人のツイッターを見たり、知らない人のブログを読んだりします。大学生になってから割と本も読むようになりました。あとは声優イベントとかに行くのも完全にそれです。もちろん、ここまで述べたような現実世界の話だけでなく、創作世界に登場する物語も好きです。
ここで重要なのは、その「他人の物語」が自分の人生と接点があろうがなかろうが関係無いということです。だから、身近な同級生がこれからどういう人生を歩むかということよりも、星宮いちごがこれからどうやってトップアイドルへの道をさらに駆け進んでいくのか、ということの方が自分の中で本質的に重要だと感じることもあります。
そして、自分自身はどう生きるのか、という問題は、完全に興味関心から消失しています。


冒頭の話に戻ると、自分が何をしたい人間なのかを伝えることができません。
いや確かに、このブログ記事のように、プライベートな領域に書くことはできます。しかし、社会に対して「あらゆる人の物語を拾い集めたい」と言っても、多分何ら埒が開かないでしょう(アイドルがオーディションで言う言葉ならまだ分かるけれども)。
ここで「社会」という言葉が突然出てきたのは、先日、ある企業のイベントに参加して、その繋がりで企業の人事の方とちょっと話す機会があったからです。そこで感じたのがまさに、自分が何をしたい人間なのかを伝えられない、ということでした。
僕は、少なくとも自分が専攻しているCS、あるいは(小規模ながら)携わっているソフトウェア開発の分野に関しては、常に関心を持っており、自分がどういうことを面白いと思っているか分かっていました。なので、それを率直に話していました。ところが、話しているうちに段々と自信が無くなっていきました。
自分が面白いと思っていることは、自分の閉じた世界の中であくまで自分自身が面白いと思っていることであり、社会にとって価値あるという意味での「面白い」ことと言えるのか。
そして何より、自分が面白いと思っていることを、それを「やりたい」と他者に強く明言できるほどまでに純度の高い思考に持っていくことができるのか。
このような疑念が話しながら次々と生じてしまい、改めて自分の生き方の曖昧さを意識せざるを得ませんでした。


振り返ってみると、自分自身の人生に毛ほども興味を持っていなかったな、という気がします。
物心ついた頃から人間観察が好きで、他の人にも人間観察が得意だね、みたいなことをよく言われました。
それは人と喋れない、人と友達になれない、という諸々のマイナスな部分と表裏一体であって、誇るべきことではありません。しかし、とにかく、他者を風景の一種として認識する傾向が昔からあったと思います。
そしてやはり、常に自我が欠如していました。自分がどれほど自我が無かったかというのは、エピソードは枚挙に暇がないと思うのですが、最近よく思い出しているのは高校3年生の時の話です。
その頃、学校に居場所が無い、早く卒業したいというようなことをずっと思っていて、空き時間(学校行事が多く、そこまでなかったと思うのだけども、細かい空きコマ休みとかも含めて)は大体図書室とかで勉強していたのですが、あれは「自分が現実で人間関係を作れない」という非情な現実を頭から追い払うための行動だったなぁという気がつくづくしています。
そういう性格はいつまでたっても治りません。新しい出会いに心を開くことはなく、自分の頭の中にあるのは遠い世界の住人の物語ばかり。何よりタチが悪いのは、そういう生き方がものすごく心地が良いということです。多分死ぬまでやめません。


話にオチが無くなってきたのでそろそろ締めようと思うのですが、自分自身に向き合うことを逃避し続けると、今回のテーマのような、自分自身の存在価値みたいな問に対してもまともに返答できず、人生がどんどん手遅れになってしまうのだなぁとしみじみ思っています。
最近はほぼ毎日シャニマスをプレイしたりアイカツ!を見たりしていて、アイドルについて考える時間が長いのですが、アイドルは成長過程で「何をしたいのか」を非常に明確に見極めていくので本当にすごいです。ああいう世界観は僕のような孤独でどうしようもなく終わった人間に強い刺激を与えてくれます。
かつて僕は「アイドルってやってることが偽善っぽくてなんか嫌だな〜」と思っていて、食わず嫌いをしていました。しかし、時が経過し、本物の孤独が分かってくるようになると、「何をしたいのか」をハキハキ述べるアイドルの存在は病みつきになってしまいます。
そんなわけで、僕がなぜ最近アイドルにハマっているかを述べるというのがこの文章の裏の趣旨でありました。