ハローラスク

absent-minded

忽然と消える日常があとにもたらすもの

先週の土日に神戸に行ってきた. 5月に徳島に行ったあともそうだったが, 旅から帰ってきたあとは何をするにも懶い気分になってしまうようだ. 何をやっても楽しい気もするし, 何をやっても楽しくない気もする. 今すぐ死んでもいいような気もするし, もうちょっと生きようかなという気もする. 誰とも話したくない気もするし, 誰かと話したくてたまらない気もする. 人生に対する諦念と未練が織り混ざっているような, 混濁した感情だ.


どうして旅が自分をこのような気持ちにさせるかというと, 自分がルーティーンとしてこなしている日々の生活を旅が剥ぎ取ってしまうからなのではないか, と考えた. われわれは普段, 同じような家で起き, 同じような電車に乗り, 同じような場所(学校/大学/会社)に通い, 同じようなご飯を食べ, 同じような家で寝ること, そして同じようにTwitterを開いてしまうことを当然のように受け入れている. もちろん, 今日は学食ではなくラーメンにしよう, とかそういうバリエーションは作れるけど, それでも「いつも食べるご飯」みたいなものはあると思う.


そういう当たり前に繰り返している(当たり前すぎて意識すらしない)日々の決まりごとに対して, 知らず知らずのうちに自分は依存してしまっているようだ.
一つ, 自分の中で今でも印象に残っているエピソードを紹介しよう. 勤勉な中学受験生であった自分は, 受験直前期は文字通り勉強の虫で, 勉強以外に特に意識的に何もやっていなかった. これは親がそうやるように強制させたのではなく(親は自分を叱ったことも褒めたこともほとんどなく, ただ自分を他人に無関心な人間に育て上げてしまった), 小学生までは自分の部屋を与えられずにリビングで過ごしていたので勉強と読書, ピアノ以外に何もやりようがなかったのである(『監獄の誕生』っぽい). 読書は自分の中では勉強と一体化しており, ピアノは小6の夏に親の意志なのか自分の意志なのかよく分からない形で辞めた. なので, 受験直前期は勉強しかやっていなかった.
さて, 2月5日, 第一志望校に合格し, その日の夜は適当に親に祝われたような気がするが, その翌日, 中学受験が終わってしまった自分には, もはや何も残されていないような脱力感があった. 「何をやればいいんだろう」と自分がボソッと呟いたときに, 親に「何をやってもいいのよ」と言われた瞬間, 涙が止まらなくなったのをよく記憶している. 自分のルーティーンが剥ぎ取られ, 人生が空っぽになってしまったことに対して, 呆然としてしまったのだ.
大学受験の頃には流石に色々趣味ができていたのでこのようなことは起こらなかったが...


旅にも同じような効果がある. 旅の場合, 旅から帰ってきたあとは普段通りの日常が再び繰り返されることになるが, それが「旅がもたらした, ルーティーンが剥ぎ取られた感覚」と衝突し, 冒頭で述べたような不安定な心理を生み出しているのではないだろうか.
もっとも, 2, 3日の旅行であれば, この不安定な状態もやがて過ぎ去り, 日常に埋没する自分を再び見出すことになるわけだが.


「ルーティーンが剥ぎ取られた感覚」は旅だけにとどまらない. 自分が心を奪われるような声優, その声優に会いに行くことは, 元はと言えば義務ではなく「会いたいから会いに行く」ことなのだけれども, それを繰り返しているうちに自分のルーティーンの一部になり, 依存してしまうことは紛れもない事実だ. しかし, そのルーティーンが永遠に続くわけではないことは分かりきっている. 何らかの形で終わりを迎える, 或いは終わりを受け入れねばならないはずなのだ.
当たり前だと思っていた日々が突如終わりを迎えた時, もたらされる感情——人はそれを"失恋"と呼ぶのだろう.