ハローラスク

われわれはたえず、とるにたらない感情や盲目的習慣にうごかされている行動を、崇高な情熱や気高い配慮によるものであるかのように説明しているのだ。

近況4/9

どうもこんにちは. 平日の昼間からブログを書いている暇人です. いや実を言うとそんなに暇ではないんですが.
ブログ自体は折々に更新していますが, 近況を書くのは一ヶ月ぶりくらいですかね. 前回はほとんど成績開示を自慢しているだけのような内容でしたが, 今回はかなりポエムです.



春休み後半(3月)

に何をしたか昨日山道を歩きながら思い出そうとしましたが, 全然覚えていません. 多分駒場図書館でバイトばかりしていたからですね. 僕は2月, 3月に駒場図書館で6万円以上稼ぎました.
駒場図書館のバイトにもいくつか種類があって, ただ単に古い本を倉庫に移すようなコンビニバイトのようなもの(これはコンビニバイトを偏見でバカにしているわけではなく, 自分が本当にコンビニバイトで消費期限切れの商品を捨てる作業を業務でしているので類似性をよく理解している)から, 古い掛図(明治時代に作られたものもあった!)の整理というオリジナリティのあるものまで, 幅広いです. 駒場図書館のバイトは時給1,000円ですが, 休憩時間にはお菓子やコーヒーパックが無料で取り放題なので楽しいです. いや, これを読んでいる東大生は大体カテキョや塾講みたいなのしかやったことないでしょうから「そんなドカタのどこが面白いんだ」と思われるかもしれませんが, 図書館職員の生態や思考傾向みたいなのが分かって面白いんですよ. それの何が面白いかって? うーん, 答えに窮しました.
まあバイトの話はこれ位にして, あとは蟻本を読んだりAtCoderをやったりしていました. 競技プログラミングは難しいし向いていないと分かったけれども, それが分かっただけでもよかったです. あとは hellorusk.net を作るために, CSSjQueryを1日くらい 超 適 当 に かいつまんで理解しました(ああいうの毎日業務でやっているフロントエンドエンジニアは大変だ〜という気持ちにとてもなった).
紙とペンでやる勉強を結局一切やらなかったので字が書けなくなりました. や, 字くらい綺麗に書けるようになりたいですよね... 僕もファンレターを書いている時にそれを切に思いました.

情弱でも機械学習したい!

で, Sセメスターが始まったわけですが,「実践的機械学習研究」という主題科目の初回を受講しました.
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機械学習についてほとんど何も知らずに軽い気持ちで受けに行ったんですが, 教員が「まだ誰も知らない未知の領域に到達したい」みたいなことを言ってて, 「これは来る教室間違えちゃったな〜〜〜」とか半笑いで思っていたんですが, 第一回レポート課題での選抜を幸運にも(?)くぐり抜けてしまったので, もう引き下がれなくなりました. 今このブログ記事をのうのうと書いているのもまだ第二回の授業を受ける前だからというわけです(だからこんなブログを書いていないで予習をするべき!!). 僕は今まで優未満の成績を4単位しか取ったことない(ドヤァ)のですが, 正直に言って, 大学に入って初めて単位を落とすのではないかという危機感が現実のものになっています.
暇があったら自分のGitHubのレポジトリに授業内容をまとめていく予定なので, 内容に関心のある方は見てみてください.

他者に認められているという主観を持つことについて

で, ここから本格的なポエムが始まるのでポエムが苦手な方はもう読むのをやめるべきです.
昨日, とある本の引用の記事を書きました. この内容は本当に自分にはしっくりくるので「僕が書いた文章だ」と詐称したいくらいです. 僕の糞ブログ記事よりもはるかに読みやすい文体だと思うので皆様にも是非読んでいただきたいです.

hellorusk.hatenablog.com

僕は生きていて「居場所がないなあ」と感じることが非常に頻繁にあります. というか, むしろ「居場所がないなあ」と感じるのが僕の人生のベースかもしれません(例外的に, 小学校4年生くらいとか, 中3〜高1くらいは「ここに居場所がある」という意識があったと思います). とはいえ, 今よりさらに若い頃は, 「居場所がないなあ」と感じるのは悪だという刷り込みがまだ強かったので(集団教育のせいだと思っている), 今みたいに「俺には居場所がないんだ〜友達が居ないんだ〜(ヘラヘラ」という開き直りにはならなかったとは思うのですが.
それで, 「居場所がないなあ」と感じる原因はズバリ「他者が自分を認めていないという判断を自分の主観で行なっている」と上記の引用文では指摘しているわけです. 当たり前のようですが僕はこれを今まであまりよく考えていませんでした.

考えてみると, 僕が昔 Facebook や(高校同期内での)Twitter をやめたのも, 客観的なfavRT数やいいね!の数はそれほど関係なく, むしろ「他者が自分を認めていない」という主観が膨らんでしまったからのような気がします. 逆にこのブログは, 一体誰が読んでいるのかは全然わからないけれども, 僕にとっては「他者が自分を認めている」と主観的に感じられる場であり, こうやって記事を書いているのはとても楽しいです(スターを付けてくださるともっと嬉しいです. いつもスターを付けてくださる方は本当にありがとうございます).

また, 僕はかねてより, 声優を応援する行為はエゴだ, と思っているのですが, これもも上記の指摘に基づいて, もう少しうまい表現で言い換えられる気がします. つまり, ラジオにメールを送ったり手紙を書いたりイベントに参加したりフラスタに参加したりする行為は(僕はフラスタはやったことはないのですが), 実際にその声優がどう思うのかはともかく, オタク一人ひとりの深層意識の中で「自分が認められているという主観を高める」ことに繋がるのではないでしょうか. いや, もちろん, 本当に本人に喜んで欲しいという献身の意味合いの方が強い人も沢山いると思います. しかしながら, そういう誠実な方でさえも,「主観」という側面を完全に否定することはできないと僕は考えています(声優を応援する行為を自分とのたたかいであるとまで表現する人もいる).
なので, アイドルや声優に関心のない人がオタクをどう認識しているかはよく分かりませんが, 少なくとも自己犠牲的なイメージ一辺倒で捉えるのだけはよろしくないんじゃないかなあ, とは思っています. なんというか, もっと「自分が楽しいから」気軽にアイドル/声優に会う人もいることが世間的に周知されて欲しいし, 自分もそういう人を「不誠実」だと断罪してしまうような狭量な人間にはならないようにしよう, ということです.

飯能に行ったらモラトリアムが死んだことに気付かされた

これはまた全然違う話題です. 昨日飯能に行ったのですが, 途中でこんな看板を見つけました.

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見たところ普通にヤマノススメにも出てきそうな看板だなあという感じですが, 僕はこれを今の大学生活というか人生を示唆するもののように受け取ってしまいました.
この看板, 東西南北全てに行き先があります. つまり, そこで立ち止まる以外, 「動くことは全て行き先に向かう」ことを意味するのです(南東方向には行き先無いじゃんみたいなマジレスはやめて). 行き先に向かいたくなかったら動けなくなってしまうのです. 結構残酷だなあと思います.
モラトリアムが許されていた頃は行き先(人生)とは関係の無い動き方が結構出来たという意味で自由だったのですが, そういうことはもうできなくなってしまいました. 残念!
ただ, この看板は例えば「東に進んだけど西に戻る」みたいなムーブは否定していないのでその点は安心できますね. 人生は別に最短路でなくても良いというわけです.

相当クサいポエムを書いてしまいましたが, 飯能は空気が綺麗で良いところなので, まだ行ったことがない方は是非行きましょう.

さよならモラトリアム

さよならモラトリアム