ハローラスク

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孤独を作るのは自分

『孤独の価値』(森博嗣) という本を読んで, なるほどと思わされる記述が多い箇所があったので, 多少長くなってしまうが備忘録としてここに引用しておく.


孤独や寂しさを感じるのは, ただ仲間がいない, というだけの状況からだけではなく, それ以前に, 仲間の温もりというのか, 友達と交わる楽しさというのか, そういったものを知覚していることが前提条件となっているようだ. もう少しわかりやすくいうと, 孤独が表れるのは, 孤独ではない状態からの陥落なのである.
友達がいなくて寂しい, というのは, 友達と過ごすことの楽しさを知っていて, それができなくなった場合に生じる感情だ, ということ. 寂しさというものが, そもそもそういった変化(陥落)を示したものだともいえるかもしれない.

  (中略)  

他者に自分を認めてほしい, という欲求は,「自分」というものの存在理由の基本的な要素となるもので, あるときはそれがすべてにもなる, と想像できる. アイデンティティとか自我とか, いろいろ呼び方はある. 言葉だけだと, ただ自分を見つめること, 自分の内だけで完結するもののような響きだが, そうではなく, 他者を意識して初めて生じる自分, すなわち,「自分はみんなからどんなふうに見られているだろうか」という想像が出発点になっている.
周囲に自分を認めてくれる人間がいることは,「心強い」と感じられる状態といえる. それは, 事実上生存とは無関係であっても, 精神的な拠り所になる.
「良い子」というのは, 最初からいきなり「社会における良い子」なのではなく,「あの人にとって良い子」というように, 他者が限定されている. 多くの場合は, それは両親であり, もう少し年齢が上がると, 先生や友達と広がっていく. こうして, 自分を「良い子」と認めてくれる対象を少しずつ広げていくことで, 社会における自分の「居場所」を作る. これは, 動物が巣を作る行為に似ている.

  (中略)  

なかには, 良い子になりそこねてしまい, そういった不安から逃れるために,「良い子になりそこねた」仲間の内に居場所を見つける子供もいる. これも, 一人では反発できないが, 仲間と団結をすれば, ゲリラ的な抵抗が可能だ, という戦略的なものといえる. 一般の社会で「良い子」にならなくても,「悪い子」の仲間内でならば「良い子」になれるというわけだから, 反発しているようで, 実はまったく同じことをしている. その同じことというのは, すなわち「場の空気を読んで, 群れを離れないようにする」ということだ.
さて, ここで再び, 寂しさと孤独を考えると, 以前よりは少し本質に近づけるように思える. つまり, 仲間や友達の喪失というのは, 結局は, 自分を認めてくれる存在の喪失なのである. だから, 仲間や友達がまだすぐ身近にいても(物理的に存在しても), 自分が認められていないことが判明したときに, それが失われる, ということになる.
おそらくこれは, 人間の頭脳が持っている想像力に起因しているだろう. 他の動物であれば, 目の前に仲間がいて, 友達がいて, 家族がいれば, それで安心するのではないか. ところが人間は, 周囲に大勢の他者がいても, その人たちが自分を認めていない, とわかれば, 寂しく感じる. まるで, その人たちを失ったように感じるのである.
ここで大事なことは, 他者が自分を認めていない, という判断は, 自分の主観によって行われるということだ. もちろん, 相手が「お前なんか認めないよ」と明瞭に言葉で宣言したのなら, 多少は客観的な判断になるかもしれない. しかしその場合でも, その言葉が彼の本当の気持ちを表したものだと判断したのは, 自分の主観なのである.

  (中略)  

「良い子」でいる以外にも, 周囲に存在を認めてもらう手がある, ということだ. それは, 他者にはないものをなにか持っている場合で, その持っているものが, 他者の役に立つものでなければならない. これは,「良い子」ではなく,「役に立つ子」である.
オタクの仲間で認められる, ということも, この年代になるとあるようだった. そういう人間を何人か知っている. 見たところ冴えない奴なのだが, 絵を描かせたらむちゃくちゃ上手い, というようなものだ. これは, 役に立つというのとは少し違う. 「凄い子」とでもいった存在である.

  (中略)  

このようにして,「凄い」ことで居場所を得られそうだ, という人間は, 少なくとも, どん底の孤独に襲われることは少ないだろう. 小さな範囲であっても, 自分が認められているという確かなスペースがあれば, そこを拠り所にして立っていることができる. 他者との関係が完全な「無」になることがない, といえる. また, どうすれば, その「凄さ」を維持することができるのか, どうすればもっと「凄い人」になれるのかが, はっきりとしている. たとえば, 学業が優秀なことで「凄い奴」になった生徒は, 学問に没頭することが自分の居場所を確保する道だと知る. スポーツで「凄い奴」になった子供は, さらに凄くなるために何をすれば良いのかを知っている. このように,「凄さ」というのは, 特定の人間に対する「人間関係」ではなく, もっと客観的な評価であるため非常に単純でわかりやすい. 上手くいかない, というジレンマは生じるかもしれないが, どうすれば良いのかわからない, ということはない.

  (中略)  

同じ「良い子」でも, 強い個性を持った「強い良い子」は, なにかしら普遍的な魅力を持っている場合が多く, 別のグループへ移ってもたちまち仲間になれるし, リーダ格にもなる. したがって, 自分から分裂して別のグループを作ったりすることもある. このとき, ただ空気を読んで雰囲気に流されていただけの「弱い良い子」は, グループの不可欠な人員ではないという結果に直面することがある. それは, 単なる「腐れ縁」のような「関係」に縋っていただけで, 「役に立つ子」や「凄い子」のような交換のできないオリジナルな特性を持っていないためで, 時間が経ち, 環境が変わったりしたときに, あっさりリストラされることになる.
決定的なリストラを言葉で告げられるようなことはあまりない. ただ, なんとなく仲間が遠ざかっていくだけだ. もちろん, 会いにいけば会えるし, 連絡をすれば応えてはくれる. ただ, しだいしだいに疎遠になり, 理由をつけて断られる機会も増えてくるだろう. こうしたときに, なにかしら「寂しさ」や「孤独」というものを実感するようになるかもしれない.