ハローラスク

absent-minded

We が主語の文章が苦手

受験シーズン真っ盛りですね... 受験勉強をされている方はお疲れ様です. 僕は去年のこの時期に軽い腱鞘炎になって字があまり書けなくなってしまい, 手にサロンパスを貼りながら旅行番組をだらだら見ていた記憶があります. 内心とても焦っていました.

ちなみに今から書く文章は受験とは一切関係ないです.


とある(面識のない)大学生の方がブログで以下のような趣旨の文章を書いていました(当人がこのブログを見ていないことを祈る).

僕たちは自分と他人を比較することによってしか自分自身の存在を規定できない. その比較によって僕は萎縮したり嫌な気持ちになったりする. だから他人のいない世界が欲しい.

この文章に対して僕が(勝手に)気に入らないと思う点が一つだけあります(これは勿論書いた当人が悪いのではなく, 100%読み手の自分(の性格)が悪いということを初めに断っておきます). それは「We が主語の文章」で感情を理屈づけているところです.

「僕たちは自分と他人を比較することによってしか自分自身の存在を規定できない.」これは同意できます. 人間は自分一人だけで生きていくことなど不可能だというのが世界の構造です.
しかし, その比較によって萎縮したり嫌な気持ちになったりするのはあくまで一人ひとりの認知の問題です. ポジティブな人間であればその比較をむしろモチベーションアップに繋げることができるでしょうし, そこまでポジティブな人間でなくともその比較を軽く受け流すこともできるでしょう. ここで大事なのは, 人間にネガティブな感情をもたらすのは, 客観的な出来事そのものではなく, その認知の仕方なのであるという認知病理学の見地です(参考). この見地に立つと, 「他人のいない世界が欲しい」などと客観的な世界にクレームを入れる前に, まず自分の認知の仕方を変えろ, という指摘ができます(なんだか医者気取りみたいになってしまいました).

とはいえ僕はこの人の医者になりたいからこの文章を気に入らないと思うわけではありません. どうやら僕は「僕たち(We)の世界が◯◯だから」という前置きの後に話者個人の意見を述べるタイプの文章にアレルギーがあるらしいです(ここで言う『僕たち(We)の世界』というのは「この世」という大きなスケールだけでなく, SNSで形成される界隈のような小さなスケールも含みます).
このタイプの文章の何が良くない(と自分で勝手に思う)かというと, 前置きの後に述べられる話者個人の意見に同調できないと感じた瞬間, 自分がその話者の 「僕たち(We)の世界」の中に含まれていない(と自分で勝手に思う)点にある気がします. しかもたちが悪いことに, 自分が同じタイプの発言をしてしまうことにはひどく無自覚なのです. 自分では勝手に疎外感を覚えておきながら他人を無意識に傷つけているのです. 最悪だ.

認知病理学的にはこれも自分の認知の仕方を変えれば改善するはず...と信じているものの, この歳でそう簡単に自分の性格なんて治らないだろ...とも思ってしまいます. とりあえず最近は目的もなくTwitterを開いて他人のツイートを漁ったりするのを止めるように努めているところです.
代わりにはてなブックマークで読んだリンクをシェアしてばかりいます. ニュースサイトみたいなTLにしてしまってすみません...(不快になったらミュートなりブロックなりしてください).